アフガン・イラク・北朝鮮と日本
《掲示板の論点3》「救う会」の「強制連行入試問題」声明について考える


  資料1--「救う会」の「強制連行入試問題」声明



★☆救う会全国協議会ニュース★☆(2004.01.25-1)

■ 大学入試センター「朝鮮人強制連行」出題に関する声明

 1月17日大学入試センターが実施した試験の世界史で、「朝鮮人強制連行」を正
解とする問題が出されていたことが判明し、専門家や言論などから、「設問に欠陥が
あり、採点から外すべき」という意見が多数出ている。
 よく知られているように北朝鮮は拉致事件追求をかわす狙いで、国連などの場でく
りかえし「日本が朝鮮半島占領時代に八百四十万人を強制連行した」と主張している。
昨年末の北京での非公式接触でもそれを持ちだした。
 昨年九月三十日の国会「国際テロリズムの防止及び我が国の協力支援活動並びにイ
ラク人道復興支援活動等に関する特別委員会」で川口外相は、山谷えり子議員(当時)
の質問に対して、昭和三十四年に外務省が調査したが、そうした事実はない、戦時中
に朝鮮半島から渡航してきた労働者の大半は自由意思だったという答弁をした。同じ
昭和三十四年に法務省入国管理局が閣議にかけた上で公刊した入管白書も、外務省調
査とほぼ同じ内容を書いている。
 昨年11月12日に国連人権委員会作業部会で齋木・外務省審議官が北朝鮮側の強
制連行数百万人主張について「これは全く根拠のない主張」と明確に反論している。
 拉致被害者と家族の全員奪還が国家的課題となっているいま、なぜ、入試センター
はわざわざ北朝鮮の「根拠のない主張」に通じる出題をしたのか、強い疑問を禁じ得
ない。早急に、同問題を採点からはずすことを求めたい。
 また、教育界は、日本人の人権と日本国の主権に関わる重大問題である日本人拉致
について、積極的に取り上げていただきたいと強く求める。

平成16年1月25日
   北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 佐藤勝巳



参考資料
昭和三十四年五月に法務省入国管理局が公刊した最初の入管白書(『出入国管理とそ
の実態』)では、在日朝鮮人に関する歴史的経緯に関して以下のごとく簡潔にまとめ
ている。その部分を全文引用しておく。

 〈第二章 出入国管理の沿革と現在の機構
   第一節 戦前の出入国管理
     四、朝鮮人の移住
 戦前の出入国管理をかえりみる際に、当時日本国民であり、現在わが国にとつて特
殊な外国人としての地位をしめる朝鮮人についても一言しておかねばならない。
 韓国併合の翌年明治四十四年末に日本内地に在留した朝鮮人は四千余人にすぎなか
つた。大正中期に以後になって朝鮮人が数多くわが国に移住するようになったが、そ
のおもな原因の一つは、朝鮮本土の人口増加である。日本統治の開始された明治四十
三年の末に約千三百万を数えた朝鮮人人口は、終戦前に三千万近い数(朝鮮本土に二
千五百余万・日本内地・満洲・華北・ソ連等に約四百万)に達していた。とくに南朝
鮮の農村の過剰人口が鉱工業の未発達な朝鮮内で吸収されないために、低賃金労働者
として日本内地に渡航することになった。近距離なので、その移住のあり方は、出稼
ぎ的に往来しながら(たとえば、大正十三年の渡航数は約十二万であったが、帰還数
は約七万五千であり、昭和十三年の渡航数は約十六万であつたが、帰還数は約十四万
であつた。)漸次、都市・工場・炭鉱地帯に定着し、昭和十三年末に在留者は約八十
万を数えた。
 大正の中期以後、この朝鮮人労務者の移住は、治安・労務問題の上から社会問題化
していたので、政府は行政措置により、生活の見通しの立たないものの渡航阻止を行
なつた。その後、戦時態勢の進展にともない日本内地で国民動員計画が進められる際
に朝鮮人労務者もふくまれ、昭和十四年から九月から、朝鮮内の指定された地域で、
企業主が渡航希望の労務者を募集し、十七年二月からはその募集が総督府のあっせん
により行なわれ、十九年九月からは国民徴用令にもとづいて行なわれた。しかし三月
末には、下関・釜山間の連絡船がほとんどとだえ、その募集渡航が行なわれなくなっ
た。(したがつて、国民徴用令による期間は六か月余であつた。)十四年九月以降、
日本内地に募集された労務者は、六十三万五千余人となるが、そのうち契約期間がす
ぎて帰還したものがおり、また職場を離れて他へ移動したものもおり、終戦当時にそ
の事業現場にいたものは、三十二万二千余人であつた。このほかに軍人・軍属として
日本内地にいたものが終戦時に約十一万人いた。なお、右の期間中も、従来通り数多
くの一般朝鮮人が来往しており、終戦当時には、全在留朝鮮人は約二百万を数えた。
 朝鮮人のおもな在留地は、六大都市をふくむ府県、朝鮮に近い福岡・山口・広島県
および北海道の炭鉱地であり、以上の十道府県の在留朝鮮人は、内地在留全朝鮮人の
約四分の三をしめていた。〉

 〈 第二節 占領下の出入国管理
     一、引 揚
 昭和二十年九月二日、横浜沖のミズリー号でわが国が降伏文書に調印してから二十
七年四月二十八日の平和条約発効までの六年八か月の間、わが国の統治権は連合国最
高司令官の制限の下におかれ、それまで内務省所管であつた外国人の出入国管理は、
総司令部の手に移った。
 総司令部が最初に処理しなければならないことは引揚であつた。海外にある日本軍
および一般邦人あわせて六百数十万の引揚について急速な能率的活動をはじめたが、
同時に国内にいる外国人およびこれに準ずるものの本国引揚を進めた。
 在留朝鮮人は、終戦直後に帰国をあせり西辺の港に殺到して混乱を起していた。政
府はいち早く動員労務者や復員者の優先的輸送の措置をとり、総司令部もその方針を
つぎ、またそれにひきつづいて一般朝鮮人の引揚を進めた。朝鮮から引き揚げてくる
日本人をのせた船に日本から引き揚げる朝鮮人がのった。帰国熱にかられた朝鮮人は
一日もはやい引揚をいそいで終戦から二十一年三月末までに百三十余万のものが朝鮮
に引き揚げた。二十一年二月に、総司令部は帰国希望者の実態を把握するために、朝
鮮人・中国人・台湾人・琉球人の登録を行なつた。その結果を朝鮮人についてみると、
二十一年三月十八日現在、在留総数六四七、〇〇六人が登録し、そのうち五一四、〇
六〇人(うち北鮮への帰国希望者九、七〇一人)が帰国希望と登録した。総司令部は
その五十一万余人の帰国希望者の計画輸送をすすめて、同年九月末までにその輸送を
終了しようとした。
 朝鮮人は、終戦後、解放された祖国へ、大きな期待を持って引き揚げたのであつた
が、国土が二分され、経済再建が思わしくなく、生活の見通しのたたないことから、
これなら日本の方がまだよいとて、逆航するものが多くなった。一方、その当時に、
日本において相当に自由にふるまえたことも、その引揚熱をさます一因ともなり、そ
れまでに引揚を準備したもので思いとどまるものが多かつた。そのため総司令部・日
本政府の熱心な努力にもかかわらず、同年夏以後の引揚はまつたく低調になって、二
十一年四月以後、その年末までの引揚者は八二、九〇〇人にすぎず、その後、二十二
年 八、三九二人、二十三年 二、八二二人、二十四年 三、四八二人、二十五年 
二、二九四人という状態であつた。その引揚者をはこぶ船は佐世保から釜山へ一か月
に大体一回運航していた。二十五年六月に動乱がおこって、それまでつづけられた集
団的朝鮮人の引揚は、終了することになった。
 以上により、終戦当時に二百万を数えた朝鮮人のうち、動員労務者・復員者は、個
人の自由意思でふみ止まつたものを別とすれば、全員が優先的に引き揚げた。一般の
在留者も約百万人引き揚げた。あと五十万人にちかいものが残ったが、これらの大部
分は日本内地に早くから来往し、その生活基盤を日本社会に深くきずいているもので
あつた。
 なお、在留朝鮮人の中で北鮮に引揚を希望したものは、二十一年十一月に米ソ間に
締結されたソ連地区引揚協定の実施により、二十二年三月と六月に合計三五一人が引
き揚げた。〉


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                救う会全国協議会ニュース
発行:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
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               みずほ銀行池袋支店(普)5620780 救う会事務局長平田隆太郎
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http://www.sukuukai.jp/houkoku/log/200401/20040125-1.htm
  • 編集者注
    • 【強制連行】の定義:
      主に日中戦争の激化に伴う戦時労働力不足を補う為に、朝鮮人等が日本本土に連れてこられて働かされた事実を指し、歴史上、下記の3つの時期に区分されている。
       @募集(1939〜41年、業者による募集)
       A官斡旋(1942〜43年、朝鮮総督府による斡旋)
       B徴用(1944〜45年、国民徴用令による徴用)
    • 【強制連行】に関する歴史論争:
      下記の2点について論争が行われてきた。
       @それが強制連行であったか単なる徴用であったか
       Aその規模・範囲

  資料2--「救う会」が問題にした2004年度「世界史B」センター試験問題



  • 出典 http://www.yomiuri.co.jp/nyushi/center/04/exam/522/1.htm
  • 編集者注
    • 2004年度センター入試「世界史B」試験問題の、
      第1問
      (アジア・アフリカのナショナリズムに関する設問、問1〜問10の計10問で構成されている。)中、

      上記「問5」
      が、「救う会」が問題視している箇所である。
      4つの選択肢があり、その中の「4、第二次大戦中、日本への強制連行が行なわれた」が正解とされている事を問題にしている。
  「強制連行入試問題」声明に関する投稿より  

沢村板への拙稿投稿全文 
投稿者:社会主義者  投稿日: 2月 5日(木)01時05分5秒
「朝鮮人強制連行」の出題に関する「救う会」声明について 
投稿者:社会主義者  投稿日: 2月 5日(木)01時01分10秒

 今回の標記「救う会」声明の件については、残念ながら私の意見は沢村管理人さんやこの掲示板の多数意見とは違い、反対を表明します。それは私が「戦後民主主義史観」論者だからです。※「戦後民主主義史観」=所謂「自虐史観」論者の事。私はこの「自虐史観」という呼称は嫌いなので、ここでは敢えて仮に「戦後民主主義史観」と呼ばせてもらいます。

 私は今まで、拉致板では歴史問題にまで踏み込んだ投稿は自制してきました。「戦後民主主義史観」を批判する投稿がなされても余程の事が無い限り、私の方では「我慢」してきました。北朝鮮・拉致問題はあくまで超党派で取り組むべき人権問題だと思っていたからです。
 ただ今回の件で、「救う会」がここまで「戦後民主主義史観」的な物の見方を拒否する声明を出してきた以上、新「救う会」結成の是非論はとりあえず横に置いておくとしても、正直言ってこれ以上「救う会」の運動を支持する気にはなれないです。「救う会」の方から「お前の思想は我々の運動とは相容れない」と宣告されたようなものですから。

 朝鮮人強制連行についてはいろんな意見があるでしょう。少なくとも私はこう思います。----明治以降の日本の大陸進出政策によって新たに支配下に加えられた朝鮮民族が何らかの強制力を以って日本本土に連れて来られたのは事実である。それを「強制連行」と呼ぶか単なる「徴用」と見なすかは、その人の歴史観によって180度変わる。----

 米騒動・関東大震災以降の日本内地の米需要逼迫に対応して朝鮮で実施された「産米増殖計画」によって土地を奪われた朝鮮人が日本本土に流れてきた。日中戦争勃発以後は戦時労働力の不足を補う為に募集・官斡旋・徴用によって組織的に朝鮮人が日本本土に連れてこられた。それらの朝鮮人は花岡鉱山(秋田県)・日鉄釜石鉱山(岩手県)や雨竜ダム・常紋トンネル建設工事現場(北海道)などで劣悪な条件のもとで働かされた。----「組織的か」「劣悪か」については各人によって評価が分かれるかもしれませんが、このような事実関係そのものについては全否定されるものではないと思います。

 また今回の「救う会」声明で、『なぜ、入試センターはわざわざ北朝鮮の「根拠のない主張」に通じる出題をしたのか、強い疑問を禁じ得ない。』と、「戦後民主主義史観が恰も北朝鮮を一方的に利するもの」であるかのように捉えられていますが、この捉え方にも疑問を感じます。「強制連行」を認めたり戦前の日本帝国主義による侵略戦争の歴史を克服しようとする事が、イコール今の北朝鮮政府の立場に賛成するもの、では無い筈です。「強制連行」と「拉致」はそれぞれ別個に、独自の立場で追及されるべき問題であり、本来「強制連行と拉致の相対化論」などが入り込む余地はない筈です。北朝鮮政府が「相対化論」を振りかざしてきても毅然と対応すれば済む話です。

 私は今回の「救う会」声明がどうあれ、今まで通り石丸次郎氏らのような「人権派」の立場で北朝鮮問題にも出来る範囲で取り組んでいくつもりです。ただ今のままでは、私やRENKの原良一さんのような考え方の人にとっては、非常に違和感を抱えたまま運動に取り組まざるを得なくなると思います。

http://6827.teacup.com/sawamura/bbs


Re「朝鮮人強制連行」の出題に関する「救う会」声明について 
投稿者:内藤  投稿日: 2月 5日(木)06時02分44秒
1 社会主義者さん、ことは歴史問題という極めて微妙な問題である以上、事実経過は明白に認識しておかなければなりませんね。
まず、入試センターの問題は、第二次大戦中日本政府は、朝鮮人を「強制連行」したという記述を正解としています。「----明治以降の日本の大陸進出政策によって新たに支配下に加えられた朝鮮民族が何らかの強制力を以って日本本土に連れて来られたのは事実である。」ということを問題にしているわけではありません。したがって、入試センターに対する、救う会声名も、そこはなんら触れていないことになります。
とすれば、あなたが、『ただ今回の件で、「救う会」がここまで「戦後民主主義史観」的な物の見方を拒否する声明を出してきた以上、新「救う会」結成の是非論はとりあえず横に置いておくとしても、正直言ってこれ以上「救う会」の運動を支持する気にはなれないです。「救う会」の方から「お前の思想は我々の運動とは相容れない」と宣告されたようなものですから。』というのは、少し過剰な反応ではありませんか。

2 救う会声名は、『なぜ、入試センターはわざわざ北朝鮮の「根拠のない主張」に通じる出題をしたのか、強い疑問を禁じ得ない。』と、言っています。これに対して、あなたは、
「戦後民主主義史観が恰も北朝鮮を一方的に利するもの」であるかのように捉えられていますが、この捉え方にも疑問を感じます。「強制連行」を認めたり戦前の日本帝国主義による侵略戦争の歴史を克服しようとする事が、イコール今の北朝鮮政府の立場に賛成するもの、では無い筈です。
と述べています。

まず、事実認識として、救う会は、(当然のことながら)あなたが強制連行を認めることにクレームをつけているのではないのですよ。入試センタ−が、現下の情勢下で、無造作に朝鮮人の強制連行はあったという記述を正解とする出題をしたことを問題にしているのです。では、どのような情勢か。
まず、一般的ば背景として、朝鮮人を戦争労働力あるいは日韓合併以後、内地労働力不足に充てることがとして駆り立てたことが「強制連行」と表現にするにふさわしい事象であったかどうかが争われています。これが、第1点、第2点は、その数がどのくらいであったかも論争点です。100人単位なのか、千人単位なのかあるいは数百万人単位なのか、ということです。この2点につき争いがあるというのが、一般的な背景です。
そして、現下の特有の背景として、北が9・17でわが国の主権侵害を認めたあと、わが国との主権侵害回復の交渉において、北は誠意ある対応をせず「日本人拉致など、問題ではない、かつて、日本は数百万人の朝鮮人を強制連行したではないか。」と主張していること。これに対し、わが政府は、大半の朝鮮人は自由意思であったと回答している、つまり、第2点については明白に否定している、第1点については何も言っていない、ということがあります(救う会は強制連行の事実認識を全否定したという考えをする美サヨクの方がおられますが、政府見解が、強制連行と呼ぶことがふさわしいかどうか、つまり論争点第1点については否定も肯定もしていない以上、論理的に、救う会もその点については、何も触れていないということになりますよ)。

そして、こういう背景があることは、出題者はもとより、受験生も当然知っていたでしょう。
このような、状況下で、入試センターの試験は、第2点については、なんら触れることなく、第1点について、北の主張を認める記述を正解肢としています。
これは、北を一方的に利するものではないですか。

あなたは、『「戦後民主主義史観が恰も北朝鮮を一方的に利するもの」であるかのように捉えられていますが、』と述べていますが、そうではないのですよ。現下の情勢において、入試センターの出題は、北の根拠のない主張に通ずるものだといっているのです。通ずるということの意味について、もう少し敷衍すると、争いのある2点につき、北の主張が否定されている第2点にはなんら触れるなくとなく、同じく争いのある第1点につき無条件で肯定している、それが、北の主張に通ずるということの意味ですよ。

3 周知のように、拉致事件は、被害者家族の切実な訴えにもかかわらず政府に無視されてきました。そして、ようやく現在北が拉致を認めたことによって、政府もなぜかイヤイヤながら解決を図ろうとしています。このような、状況下で、同じ政府の機関である入試センタ−が、北の根拠のない主張に通ずる出題をするということは被害者家族にとっては、どうですか。
なるほど、北が相殺論など持ち出して場合には、あなたの言っているように毅然とした対応をすればそれでよいでしょう。しかし、今回の問題は、そうではないのですよ。同じ交渉主体に含まれるはずの、入試センターが、争いのある2点につき、直接交渉の衝にあたっている外務省を差し置いて、外務省の否定した第2点については全く触れず、いまだ定説になっていない第1点については無条件で肯定してしまっているのです。本来、このような問題は外務省が抗議すべきなのですが、なぜか外務省はしないでしょう。救う会としては、危機意識をもつのは当然ではないでしょうか。放置できないでしょう。

4 救う会の今回の声名は、なにも美サヨクのみなさまに、「戦後民主主義史観」的な物の見方を拒否することを強制するものでもなんでもありません。時局をわきまえぬ、入試センターの出題にクレームをつけたということです。

※編集者注:
上記の原稿は字数制限の関係で1・2に分かれていましたが、転載時に編集者の方でつなぎ合わせました。また、明らかな改行ズレ・誤字脱字については気付いた範囲で補正しました。


沢村板への拙稿投稿全文2 投稿者:社会主義者  投稿日: 2月 5日(木)11時09分16秒
内藤さんへ、高尾山さんへ 
投稿者:社会主義者  投稿日: 2月 5日(木)10時49分3秒

内藤さんへ

>Re「朝鮮人強制連行」の出題に関する「救う会」声明について2 投稿者:内藤  投稿日: 2月 5日(木)07時11分58秒
>>では、どのような情勢か。まず、一般的な背景として、朝鮮人を戦争労働力あるいは日韓合併以後、内地労働力不足に充てるため駆り立てたことが「強制連行」と表現にするにふさわしい事象であったかどうかが争われています。これが、第1点、第2点は、その数がどのくらいであったかも論争点です。100人単位なのか、千人単位なのかあるいは数百万人単位なのか、ということです。この2点につき争いがあるというのが、一般的な背景です。

 私はあいにく「強制連行」肯定派なので、第1点については「これは強制連行である」と認定しています。そもそも『江戸時代までは日本固有の領土でもなかった土地(朝鮮・台湾・満州)に「欧米列強に負けるな」とばかりに進出して(準)植民地にし、そこに住んでいる他民族を自国の都合の良いように利用する』という事自体、そこに何らかの強制力が伴わなければそれを円滑に実施する事など出来ませんから。中には自由意志による日本渡航もあったでしょうが、それとて"全く純粋な自由意志によるものは少なかった""事実上日本渡航しか選択の余地が無かった"のではないかと推測しています。第2点の「その数がどのくらいであったか」について論争がある事は承知しています。しかしたとえその数が数百万人でなく数万人であったとしても、「強制連行され今も何の補償もないまま捨て置かれている」事が免罪されるものではないと思います。

 今回の「救う会」声明に関して言えば、問題となった入試問題の正解が「強制連行はあった」ではなく、例えば私が記したような「明治以降の日本の大陸進出政策によって新たに支配下に加えられた朝鮮民族が何らかの強制力を以って日本本土に連れて来られたのは事実である。」というのが正解であったならば、「救う会」はここまでクレームはつけなかった----そういう風に認識しておけば良いのですか?

 どちらにしろ、ここまで脚光を浴びてしまった問題になった以上、私は「強制連行」の事実そのものについて、一旦議論から離れもう一度自分で調べてみようと思っています。といっても、いま別に読書中の書物もありこれ以上また本を買って読むというのも直ぐには出来ませんのでいきおいネット検索という事になりますが、昨日からちょっと調べた限りでは「強制連行」に焦点を絞った資料で体系的なものは意外と少なかったです。「ハンボード」や「半月城通信」にしても体系的と言えるほど纏まってはいなかったし。これは終戦時に焼却・抹消された資料も多かった所為ではないかと推測しています。いずれにしろ、「救う会」声明に添付されていた昭和34年入管白書や花岡事件等の各地の聞き取り・発掘調査報告なども参考にしながら調べてみるつもりです。

 最後に…「美サヨク」ってどういう意味ですか?


高尾山さんへ

 日韓両国政府による歴史問題共同研究ワーキングチームの情報、私も参考にさせてもらいました。確かドイツ・ポーランド間でも、例えばホロコーストやカチンの森虐殺事件に関して同じような共同研究が進められていると聞いた事があります。私は、この研究は単なる共同研究ではなく歴史認識の共有(歴史教科書記述のすり合せ)まで進めてもらいたいと思っていますが、それに向けての第一歩となる取組みでしょうね。

 「救う会」声明によせて歴史問題にまで踏み込んだ投稿になってしまいましたが、とりあえずこの件は沢村さんの板では「これにて終了」としたいと思います。


http://6827.teacup.com/sawamura/bbs
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(これより以下は本テーマとは無関係のレス・雑談投稿なので転載省略します。)

現在収集中の「強制連行」関係資料(改訂版覚書) 
投稿者:社会主義者  投稿日: 2月 6日(金)10時57分21秒
※注:引き続き資料収集を行いここに反映させる為に、2月5日(木)15時51分49秒に出先から投稿した同名の最初の書き込みは削除し、自宅PCからのこの書き込みに替えます。

※とりあえず今までピックアップした情報ソース(2/6日現在)
 以前の拙板過去ログ中の、金国雄さんの投稿の中からも、何か情報が見つかるかもしれません。

 《日本各地の調査記録》

  ・秋田県大館市HP>花岡事件
   (中国殉難烈士慰霊碑・鎮魂碑・日中不再戦友好碑)
   http://www.city.odate.akita.jp/culture/hanaoka.htm

  ・聖公会生野センター機関誌ウルリム(響) 第22号
   鉄冷えの町・釜石から見えてきたもの
   http://www.nskk.org/province/ikuno/urrim/22/1.htm

  ・平和資料館きぼうの家(松本大本営の保存をすすめる会)HP
   http://homepage3.nifty.com/kibonoie/
   松本大本営の建設に従事した主体も強制連行された朝鮮人労働者
   だったそうです。

  ・北海道の強制労働
   http://tukamoto.web.infoseek.co.jp/kyosei/kyosei.html

 《朝鮮人強制連行の一般的解説》 (※は強制連行否定派の主張)

  ・ハンボード
   http://www.han.org/a/

  ・半月城通信
   http://www.han.org/a/half-moon/

  ・北海道の強制労働>強制連行について
   http://tukamoto.web.infoseek.co.jp/kyosei/renkou.html

  ・日本人拉致事件と朝鮮人強制連行(かわもと文庫・「世相百断」第47話)
   http://www5a.biglobe.ne.jp/~katsuaki/sesou47.htm

  ・在日朝鮮人の形成と現状(「平和教育・理論と実践」1996年3月号)
   http://www.jade.dti.ne.jp/~f-chouko/faq/zainitikeisei.html

  ・在日コリアン問題入門(神奈川民闘連HP)
   http://www3.justnet.ne.jp/~mintouren/nyumon.htm

  ・朝鮮人「強制連行」問題とは何か(上)(日本政策研究センター)※
   http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou1.htm
   朝鮮人「強制連行」問題とは何か(下)(同上)※
   http://www3.ocn.ne.jp/~nskc/top/kyouseirenkou2.htm

  ・大日本史番外編 朝鮮の巻 ※
   http://ryutusijou_kenkyukai.at.infoseek.co.jp/index.html

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(これより以下は本テーマとは無関係のレス・雑談投稿なので転載省略します。)

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