アフガン・イラク戦争〜北朝鮮問題の序章(5)
タリバンとビン・ラディン
ビン・ラディンのプロフィール
1957年
サウジで出生。
(生年月日は諸説あり)
エジプトに大学留学中にイスラム原理主義に傾倒。
1990年
湾岸戦争。
米軍サウジ駐留にラディン反発。
1991年
サウジからスーダンに出国
。
1992年
米軍宿泊ホテル爆破(イエメン)
1993年
NY貿易センタービル爆破
1996年
米軍住宅爆破(サウジ)
同 年
スーダンからアフガンに出国。
米大使館爆破(ケニア・タンザニア)
米クリントン政権、アフガン・スーダンに報復攻撃。
2001年
09月11日
NY貿易センタービルに飛行機ハイジャック・テロを敢行、ビル倒壊。
10月07日
米軍アフガン空爆開始。
空爆でタリバン政権崩壊。
12月22日
アフガン暫定政権樹立。
米軍、トラボラ地区でビン・ラディンとテロ組織アルカイダ掃討作戦継続。
【解説】
(1)
タリバンとは・・・
正式名「イスラム神学生のアフガニスタン改革運動」。
タリバンはタリブ(神学生)の複数形。
イスラム原理主義
を指導理念とする。
1994年パキスタンの難民キャンプで誕生。
米・パキスタンの支持、サウジの資金援助で急速に勢力拡大。
アフガンを実効支配したが、アメリカの空爆で瓦解。ビン・ラディンらアラブ人テロリストをかくまう。指導者オマル師。
(2)
イスラム原理主義とは・・・
イスラム教にもとづく政治・社会改革運動。
「コーランに書いてある通りの政治をすれば貧困・搾取や不正はなくなる」と説く。
従来の共産主義の解放理論に変わって民衆にアピールするが、
結局は、今までの国王や軍部の独裁政治が、イスラム聖職者やその威を借りた軍閥・封建領主たちによる独裁に取って代わっただけ。
(3)
タリバンは米・パキスタン・サウジ等外国の干渉と資金援助の産物。
ビン・ラディンはタリバンやイスラム原理主義の上に咲いたあだ花でしかない。
↑バーミヤンの石仏破壊跡
(’01年3月、毎日新聞)
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