アフガン・イラク戦争〜北朝鮮問題の序章(3)
アフガンにおける米・ソのグレートゲーム(独立後〜ソ連の介入・撤退)



共和制時代(’70年代)の首都カブール
(引用:Afghan Online)
上の写真は下記(3)の共和制時代の映像である。女性の服装など、タリバン以後〜現在の姿と比較してみよう。革命の内紛と内戦、米ソ・近隣諸国の軍事介入はアフガンの社会進歩を完全に破壊してしまったことがわかる。

【解説】
(1) 1919年  完全独立
(2) 1919〜73年 王制時代
国王は上から西欧流の近代化(憲法制定・女性解放)を進めたが、保守派の抵抗に直面した。
第2次大戦後、東西冷戦が始まると、米ソはアフガンで援助合戦を繰り広げた。
(3) 1973〜79年 共和制と社会主義の時代
左翼の人民民主党が選挙で進出し、1973年に軍部左派のクーデターで王制が打倒される。1979年には民主共和国が成立し、イスラム保守層と対立する。
(4) 1979〜89年 ソ連軍事介入⇒アフガン戦争
ソ連は人民民主党の内紛に軍事介入し傀儡(かいらい)政権を樹立する。米やパキスタン・イラン・サウジが支援するムジャヘディン(イスラム・ゲリラ)との間で内戦が始まった。
(5) 1989〜92年 ソ連撤退⇒社会主義政権の崩壊
内戦で多数の犠牲を出してソ連は撤退し、まもなく社会主義政権はムジャヘディン各派によって打倒された。

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