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アフガン・イラク戦争〜北朝鮮問題の序章(2)
アフガンにおける英・露のグレートゲーム(19世紀〜完全独立)


←アフガニスタン概略図
 (国境・国名は現在のもの)



 @カイバル峠
(上の写真)



@カイバル峠は、上記概略図の首都カブール東方、ジャララバード(Jalalabad)とパキスタンの間の国境付近にある。

A部族地域は、パキスタン北西辺境州(アフガニスタン国境沿いにひろがる一帯)の大半を占める。

Bワハン回廊とは、概略図のヒンズークシ(Hindu Kush)山脈に沿って中国との国境まで延びる、タジキスタンとパキスタンにはさまれた細長いアフガニスタン領。

(注)・上記地図上の@ABの位置は、ブラウザの状態によって異なります。あまりにも表示位置がずれる様でしたら、ブラウザの調整を行ってください。
【解説】
(1) イギリスの侵略
イギリスの侵略(第1次〜第3次アフガン戦争)によりアフガニスタンは英領保護国になっていたが、第3次アフガン戦争によって第1次大戦後に独立を回復した。
カイバル峠 元々英領インドとの国境だったが、イギリスが強引に国境線をずらし、英領の中にとりこんでしまった。
部族地域 イギリスは一方的にパキスタンとの国境線(デュラント・ライン)をひいたので、アフガン人の生活圏は二分されてしまった。アフガン人は恣意的国境など無視して越境交易を行った。イギリスは取り締まりを諦め、デュラント・ライン沿いに部族地域(地元民の自治地域。トライバル・エリアともいう。)を設定した。今でも、部族地域はパキスタンの行政権が及ばない密貿易地域になっている。
(2) 英・露のグレートゲーム
アフガニスタンにはロシアも侵略の手を伸ばし、イギリスと覇権を争った。
英・露のグレートゲーム
ワハン回廊 英・露のグレートゲームの緩衝地帯として設置された、中国国境までの細長いアフガニスタン領。

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