アフガン・イラク・北朝鮮と日本
《掲示板の論点5》イラク情勢と人質事件について


  資料--イラク情勢・人質事件関連

資料1
イラクでの主な爆破・衝突事件(3/28〜4/5日)
 (ヤフー・ニュース特集「日本人拘束の背景」より)  
http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/iraq/domestic_situation/index.html


資料2
イラク人質事件の発生状況
 (同上資料より)
http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/iraq/domestic_situation/blast.html

 

資料3
イラク日本人人質事件の経過
 (同上資料より)
http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/iraq/person/keii.html

    

資料4
人質「自作自演」説の検証を試みたHP
 
 拙板常連投稿者のMさんが立ち上げたサイトです。

 同HPの前書きより
 4月8日の「アルジャジーラ」でのテレビ報道によって「サラヤ=ムジャヒディン」を名乗る武装集団によって三名の日本人(高遠菜穂子さん今井紀明さん郡山総一郎さん)がイラク国内で拘束されている事実が確認された日本人誘拐事件について、「2ちゃんねる」などインターネット上の掲示板ではこの事件が被害者による「自作自演」による「狂言」だとする「疑惑」が実しやかに囁かれています。
 確かに、この事件の事実関係には不可解な点が少なくないのも事実ではありますが、今なお三名の被害者の身柄の解放が確認されていない状況下で size=-1>(4月15日21時30分時点で三名の無事と解放が確認された)、このような「疑惑」がネット上で流布されることはイラク民衆を思って彼らなりに社会貢献活動を行ってきた三名の被害者への心ない誹謗中傷である上に、三名の救出活動の支障にもなると言えるでしょう。
 当サイトは「被害者自作自演」説の「根拠」としてネット上で流布している「情報」の検証を通して、「被害者自作自演」説なるものが取るに足りない情報をつなぎ合わせて被害者を誹謗中傷するために「白を黒と言いくるめているだけ」の言説に過ぎないかを理解して頂くことを目的にしています。
 被害者の無事と一日の早い解放はもちろんのこと、イラクの地に一日も早く平和な日々が訪れることを願っています。


●「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
  http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html#kantei

  拙稿「イラク人質事件雑感」シリーズ

イラク人質事件雑感1 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月12日(月)07時49分6秒
【現在の状況】

・人質3人はどこに 飛び交う観測、情報なし(共同通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040411-00000123-kyodo-pol
・日本人人質3人、24時間以内に解放…中東TV
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040411-00000003-yom-int


【職場の状況】

 昨日は仕事だったので昼のニュースしか見れていません。昨夜10時過ぎに帰ってきて情報をチェックしただけです。
 昨日朝、出勤して顔を合わせた職員さんに、既にネットで流れていたアルジャジーラの「人質解放」速報を伝えると、驚いた様子でした。昼休みには、TVが「解放」速報の号外配布と街頭インタビューのニュースを流していました。朝顔を合わせた職員さんも、弁当を食べながらTVニュースを見ていましたが、何か、人質に対してあまり良い感情を持っていない様子。そういえば昨日も、職場では「自衛隊撤退はテロリストに屈服」みたいな感想が出ていました。壮年男性サラリーマンには、案外そういう意見の持ち主が多いような気がします(あくまで私の直感ですが)。この「テロ屈服」論については反論を後述しますが、何か日本人特有の「長いものに巻かれろ」「既成事実に追従するのが国益だ」みたいな風潮が出てきているのではないか…。


【今さらですが、簡単に「テロ屈服」「自業自得」論への反論】

・「テロ屈服」論

 これは、戦前の日独伊三国同盟加盟「バスに乗り遅れるな」宣伝と同じ。反戦世論の恫喝・沈黙が狙い。そもそもテロをイラクに呼び込んでしまったのは米英が国際法違反の戦争を始めたからであって、戦争の大義も「大量破壊兵器」から「フセイン独裁打倒」にいつの間にか摩り替わっているし、米英本国ではウソがばれてブッシュやブレアの支持率は急落。ニカラグア・スペイン・ポーランド始め、撤退を既にしたか検討中の国がボロボロ。そもそも有志連合自体が、米英が札束に物を言わせて中南米・東欧諸国を抱き込んだ代物。米英流の先制攻撃論だけが「テロとの闘い」ではない。そもそも今回の反占領運動の暴徒化も、元をただせば米軍の新聞発禁・デモ武力弾圧が発端。それを全て「テロ屈服」の一言で誤魔化し、黙らせてしまう。体制側の印象操作。

・「自業自得」論

 これは、開戦前から地道に人道復興支援していたNGO活動家や戦争報道ジャーナリストを「何も考えずに戦場に物見遊山に出かけたキチガイ」呼ばわりする、為にする論。
 NGOに関しても簡単に言うと、NGOは自衛隊の1/400の予算で10倍弱の住民に20倍位の給水活動を行なってきた。イラク戦争は、それらNGOがそれまで培ってきたものを全て破壊した。

「軍隊的なものが人道復興援助に関係することで人道援助自体がゆがんでしまい、その中立性が失われ、本来の人道援助機関――国連、赤十字やNGOが危険な立場となる」(今年1/29日、衆院イラク特別委での熊岡路矢参考人・日本国際ボランティアセンター(JVC)代表理事の発言、'04年1月29日)

 石原慎太郎のテロ容認・植民地主義肯定や建国義勇軍事件の時の一方的当事者擁護発言と言い、今回の「自作自演」「自業自得」「テロ屈服」等での一方的NGO・反戦運動バッシングと言い、一部ウヨクさんたちの薄汚い言葉遣い・逆ダブル・スタンダードは、今回も目に余る。Mさんが4月9日の投稿で引用した資料URLを、参考までに。

・「国会と政府と報道が無視したイラク人道支援論(1)」
 http://www.janjan.jp/government/0404/0404022743/1.php
・「国会と政府と報道が無視したイラク人道支援論(2)」
 http://www.janjan.jp/government/0404/0404022743/2.php
・高遠菜穂子さんのイラクストリートチルドレン支援報告
 http://www.morizumi-pj.com/iraq5/08/iraq5-08.html


【ただそれでも拭いきれない「違和感」】

 4月9日(金)午後にイラク人質事件が舞い込んできて、人質拉致犯らが「3日間の猶予」「自衛隊撤退を要求」、スワ緊急事態という事で動いてきて、今「人質解放か?」という事になっているのですが、何となく違和感が残ります。「テロリストは、そんなに簡単に情に絆されるものなのか?」という疑問がどうしても拭えないのです。遠くは連合赤軍の浅間山荘事件や、それより最近ではペルー極左ゲリラの日本大使館占拠事件を思い起こしても…。家族の方や私たちも含めての救援活動が功を奏したのなら、それに越した事はないのですが…。 

イラク人質事件雑感2 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月14日(水)09時08分3秒
【厨房がまた、ワラワラと…】

・心労の家族に心ない中傷 留守電にまで「死ね」(共同通信)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040413-00000234-kyodo-soci

 また醜いねえ…。どうせまた、どこぞのネット厨房の仕業でしょう。最近、この手のKKK・ネオナチもどきのネット・ファシストが大手を振ってまかり通っているような気がしてなりません。鬱憤晴らしなら「2ちゃんねる」でやれ。
 今回の3人や伊藤政子・森住卓・綿井健陽諸氏のようなNGOやジャーナリストが、今までイラクにおける人道支援を支え、イラク人の親日感情を培ってきたのでしょう。
 それを「丸腰で戦場に向かうバカ」呼ばわりするだけでなく、嫌がらせにまで及ぶとは。これが「自作自演」なら、その他の非派兵国まで巻き込んだ多くの外国人人質事件も全て「自作自演」だと言うのでしょうか?

(参考)
・バグダッド ストリート チルドレン
(高遠菜穂子さんのイラク・レポート、森住卓さんのHPより)
 http://www.morizumi-pj.com/iraq5/08/iraq5-08.html



【人質事件を正当化してはならない】

 今回の反占領運動の暴徒化・イラク全土への拡大は、占領軍当局の反人民的弾圧が発端です。悪いのは人民弾圧の占領軍である--この点は明確です。
 http://headlines.yahoo.co.jp/specialfeature/iraq/domestic_situation/

 しかしだからといって、外国人の拉致まで正当化・相対化してレジスタンスとして免罪する事は出来ません。
 ネパールやフィリピンの毛沢東主義ゲリラや、南米のFARCやセンデロ・ルミノソも、それぞれの国で、イラク武装勢力と同様の外国人・要人誘拐を行なっています。そして、それらの諸国ではその戦術故に、極左ゲリラは広範な人民の支持を獲得できず、寧ろ逆に人民の反帝闘争への結集を妨げ、帝国主義と結びついた当該国の独裁・腐敗・封建・寡頭政治を補強する役割すら果たしている、という側面があります。
 派兵国・非派兵国も、軍隊も非戦闘員(一般市民)も区別せずに人質に取るやり方は、民族解放の大義とは相容れず、寧ろ占領軍が進める「反テロ戦争」にお墨付きを与える結果になっています。


【自衛隊撤退は、人質救出とは別の根拠で唱えるべき】

 人質となった家族が救出を望み、その中で自衛隊撤退にも言及するのは、当事者としての当然の感情です。しかし、その家族を支援する側も、家族と同じ論理で自衛隊撤退を唱えてしまったのでは、「テロに屈してしまった」との印象を国民に与えてしまい、本来なら批判の対象となる人質戦術も免罪してしまう事になってしまうのではないでしょうか。国民の中の少なからぬ部分が、3人の家族を、FARCに誘拐されたヤザキシーメル副社長・村松氏の家族との対比で見てしまっているのではないか?コロンビアの寡頭政治・麻薬戦争・右翼民兵支配の実態は勿論告発されるべきですが、もし村松氏の家族が当時FARCに迎合する形で日系企業の撤退を言い出していたとしたら、少なからぬ人々は「テロリストの人質戦術を免罪しそれに悪乗りする家族・支援者」と批判したのではないか?そのような感情が歪んだ形で表出しているのが、前述の嫌がらせではないか?
 先に述べた家族への醜い嫌がらせは3人の活動への偏見から来るものであり、到底肯定する事は出来ません。しかし、支援者の側が人質事件のみを根拠に自衛隊撤退を唱えて行けば行く程、「テロリストの人質戦術まで免罪する」陥穽に嵌ってしまう事になりはしないか?

 3邦人の救出については、まずは何はともあれ「助けろ!」、なのではないか。
 人質事件については、日本人だけでなく全外国人市民の救出をめざす立場で、市民への無差別テロは許さないという姿勢を堅持すべきなのではないか。
 自衛隊撤退については、人質救出の取引として主に唱えられるべきなどではなく、あくまで反人民的占領統治に反対する立場から、非戦闘地域での人道復興支援の要件を満たさず平和憲法に違反する事を根拠に、唱えられなければならないのではないか。

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※注:4月12日(月)07時49分6秒投稿の拙稿「イラク人質事件、現時点での雑感」は、皆さんの方でタイトル名を「イラク人質事件雑感1」に読み替えて下さい。字数制限ギリギリの分量だからだと思うのですが、管理者メニューで編集しようとしてもブラウザが受け付けず、無理に編集したら「新規投稿」の形になってしまい、私の方ではタイトル変更が出来ません(ちなみに本稿編集でも同じ現象に遭遇している)。過去ログは読み替えたタイトル名で保存します。

イラク人質事件雑感3 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月14日(水)23時43分11秒
【職場の状況】

 今日の昼休みには休憩室で所長が弁当を食べていました。(お断り:実は私は午後からの勤務シフトなので、職場レポートはいつもランチタイムから始まります。)
 今日も人質事件の話が出たので、3人の家族に対する嫌がらせが起こっている事も引き合いにだしながら「3人についてどう思っているのか」、所長にそれとなく聞いてみました。

 帰ってきたのは、やはりよく思っていない、との事。「国民は醒めている」という言い方をしていました。「何について醒めているのか」と聞くと、「国民は海外へ行くような余裕など無い」との事。別に、あの3人はダイヤモンド社の「地球の歩き方」シリーズ本片手に物見遊山や観光に行ったのではないのだが。まあ、それは横に置いておくとして。それから二言三言交わした後、話題は別の話に移っていきました。

 私はてっきり、北朝鮮拉致被害者家族との対比で「3人にはチヤホヤしやがって」といった感情が底流にあるのかと思っていましたが、そうでもないみたい。実際、所長はそれを否定していた。それよりも「日本国内はリストラで大変なのに、外国にボランティアになどよう行くなあ」みたいなニュアンスで言っていました。私も、そしてあの3人も、それは一緒だと思うのだが…『リストラも戦争も拉致もゴメンだ』。


【今、イラクで一番苦しんであるのは】

 今、イラクで一番苦しんであるのは、「3人」でも「米軍」でもなく、当のイラクの人々でしょう。ファルージャではクラスター爆弾が使用され、米軍の無差別攻撃で市民が何百人と死んでいるんでしょう。救急車まで狙い撃ちされているのでしょう。そういう事が、バグダッドでもバスラでも、ナジャフやクートでも起こっているのでしょう。なのに、誰もその事にはあまり言及せず、ただひたすら「3人が」「日本人が」「テロとの闘いが」という情報ばかり。確かにどこの国でも自国民が一番大事なのでしょうが、其処はイラク、イラク人の国でしょうが。それも踏まえた上で、それでもやはり無差別「人質・誘拐」戦術は「反テロの大義にも民族解放の大義にも反する、それは認められない」と、言うべき事も言っていかなければいけないのでしょうが。

 また、私はアメポチ流「反テロ世界大戦」なんぞに一方的に巻き込まれるのは嫌だから、政府・防衛閣僚や「荒らし」の派兵賛成派には噛み付くけれど、サマワに駐屯させられた自衛隊員にはつくづく同情しますね。群長だか隊長だかのインタビューではいつも教科書的な模範解答しか帰ってこないし、下っ端の隊員はひたすら回りを気にして何も喋らないけれど、本当はいろいろ葛藤があるのでは。本気で「お国の為には死んでも良い」って思っている人なんて、一体何人いるの?

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>「やれやれ…」(ミスター777さん)
>>日本政府がイラクへ自衛隊を送ったのも、3人が危険を承知で、イラクへ
 入ったのも、彼らには彼らなりの事情があるんでしょう!
 (それぞれの立場の判断が良いか悪いかはべつとして・・・)

 私は、もうこの手の議論にはうんざりしてます。
 日本人同士で争ってどうするつもりか?
 今は、とにかく早く人質が開放されることだけ祈りましょう。<<

 同感。 

イラク人質事件雑感4 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月16日(金)00時22分17秒
【まずは、良かった】

 「3人解放」、まずは良かった。今度は本当ですね?また「情勢急変」だの「ガセネタ」だのは、もうコリゴリです。新たに拘束された2人についても、早急に救出しなければ。日本人だけでなく人質全員の救出をめざさなければ。そして一番肝心な事は、占領軍によるジェノサイド・人民弾圧を停止させ、暴力の連鎖を終わらせ、最終的には国際法による解決でイラク国家の再建を果たす事です。


【「独立系メディア叩き」で得をするのは一体誰か】

 拘束された側の危機管理意識が、果たしてプロとしてふさわしいものであったかどうかについては、いろいろ議論はあるでしょう。そういう意味では彼らの「自己責任」も問われるべきかもしれません。しかし昨今の、戦場取材の意義はハナから無視し、殊更「自己責任」だけを云々して、恰も彼らを論うかのような風潮は、やっぱり納得出来ません。NGOやフリージャーナリストを恰も「自己満足で赴いた邪魔者・ゴミ」呼ばわりような一部の翼賛商業マスコミ・2ちゃんねらーウヨクたちの薄汚い誹謗中傷には組する事は出来ません。

 ベトナム戦争では、石川文洋氏らの戦争報道によってトンキン湾事件のでっち上げやソンミ村での虐殺事件が明らかになりました。ベトナム戦争報道で懲りたアメリカは、以後、本格的に報道規制に乗り出します。湾岸戦争では戦場取材を一切シャットアウトし、今回のイラク戦争では「エンベッド(埋め込み)」取材による従軍記事を氾濫させました。そして、それらの従軍記事や番記者取材とは異なる立場で戦争報道を行なったアルジャジーラやアルアラビアなどの中東系メディアに対しては、恰も記者を狙撃するかのような行為にまで及びました。その中で、体制順応で及び腰な日本の商業メディアは、殆どの記者をイラクから撤退させてしまいました。従軍記事でない戦場報道は、独立系のメディアやフリージャーナリストの手に委ねられました。その中で「3人叩き」が為されました。

 今回の政府・大手商業マスコミ・ネットウヨクたちによる3人バッシングには、何か意図的なものが感じられます。「3人叩き」「NGO叩き」「独立系メディア叩き」によって得をするのは、一体誰なのか。

イラク人質事件雑感5 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月17日(土)00時34分48秒
【職場の状況】

 今日もランチタイムの休憩室から。今日は副所長が弁当を食べていました。 解放された3人の姿が写ったTVを見て、「けっ!」とか呟いてました。副所長が先にメシを食べ終えて部屋を出て行き、私がまだ弁当を食べていると、所長ともうひとり年配の職員が入ってきて、TVを見ながら弁当を食べ始めました。所長と年配氏が高遠さんを指して「まだ懲りずにイラクで活動したいと言っている」「捜索費用も私らの税金から出るんでしょうね」とか言っていたので、私は横から、高遠さんが今までバグダッドでストリートチルドレンの面倒を見てきた事、ストリートチルドレンの子供たちと会いたがっている事、子供たちの方でも「僕がナホコの身代わりになる」という声が何人もから上がっている事、などを説明しました。そうすると二人の職員も納得してくれて、「日本のみんなはそんな事まで知らんからなあ」と言っていました。私が食事を終えて休憩室を退室した後、ひょっとしたら、二人で「誰あれ?」「この前入ってきたバイトですわ」「ひょっとして、あいつ…」とか、ヒソヒソ話をしていたりして…(笑)。


【この間の、私の感情の振幅】

 まず最初に3人拘束の報が飛び込んできて、《「テロリスト」の側が自衛隊撤退を要求している》と聞いた時は、正直言って嫌な気分になりました。「イラク戦争・派兵反対=テロリストへの屈服」「戦争・派兵賛成=テロリストとの対決」の構図に、何か無理やり押し込められていくような感じがして。

 翌日以降の私の職場の反応も、はっきり言って3人やその家族には冷たいものでした。そして、ネット上では3人をめぐっていろんな「疑惑」が浮上してきて、私も3人の言動に対して、(以前の拙稿でも言及したように)何か「拭いきれない違和感」を感じていました。それらの「疑惑」はの殆どは、私から見れば、明らかに左翼攻撃を意図した「為にする」物が殆どでしたが、中には簡単に一笑に付せない物もありました(「今井メール」の件、手際良すぎる署名活動の件)。またその「疑惑」とは別に、《いくら占領軍への抵抗とは言え流石に「人質戦術」までは支持できない》《それに便乗するような派兵反対論では説得力を持ちえない》という気持ちもありました(これは今もそうです)。

 しかし他方、ネットウヨクが言い出し翼賛商業マスコミが取り上げ政府筋も便乗してきた「自作自演」「自己責任」論に対しても、先の「拭いきれない違和感」以上に何か「胡散臭い」ものを感じ始めていました。
 とりわけ、危機管理が完璧ではなかったという点においては同等な筈にも関わらず、奥大使・井ノ上参事官殺害事件の時の政府・マスコミの取り上げ方と比べたら、その余りの落差に。
 そして、イラク特措法の範囲すら逸脱して「周辺地域」でも「非戦闘地域」でもない外国への派兵に国民の税金をつぎ込んでも何にも言わないマスコミが、こと今回に限っては「家族に請求書を回せ」と言わんばかりの主張までする、その異常さに。
 
 今は、
 《3人への「拭いきれない違和感」も完全払拭はされていない》が、
 《寧ろそれ以上に「自作自演」「自己責任」論の方に「拭いきれない違和感」を感じる》
 ----というのが、私の正直な気持ちです。


【官邸サイドの情報操作「疑惑」】

>Mさんへ

 Mさんが立ち上げた臨時サイト(下記上段URL)とその参照先リンク(同、下段URL)、すごいヒット数ですね。「2004.04.15」に立ち上げて「2004.04.17 AM00:17」でもう「25418」(上段URLの方)。「2002.09.30」に立ち上げたアフガン板よりも多いではないですか!?

・「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
 http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html
・“ぶったまげの逆ギレ”小泉首相が「俺たちが一生懸命救出に奔走しているのにあの家族は何だ」と激怒![週刊新潮4・22](「阿修羅」掲示板 > 戦争52 > 605.html )
 http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/605.html
・人質事件:「家族への暴言」とともに流布された「自作自演説」の浸透も政府=官邸が主導[フライデー4・30](「阿修羅」掲示板 > 戦争52 > 838.html )
 http://www.asyura2.com/0403/war52/msg/838.html  

 小泉の"ぶったまげの逆ギレ"、あれは一体何だ!あそこに書いてある事が本当なら、小泉首相はどの面下げて、3人の家族に「俺たちが一生懸命救出に奔走しているのにあの家族は何だ!」などと偉そうに言えるのか???

イラク人質事件雑感6 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月20日(火)01時19分6秒
【どちらがテロリストか】

・多くのパレスチナ人がランティシ氏の死悼む、報復求めて気勢(ロイター)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040419-00000859-reu-int

 イスラエルが、ハマスの新指導者ランティシ氏を武装ヘリから車ごと狙い撃ちして殺害した。ヤシン師殺害からわずか1ヶ月後の出来事だ。パレスチナ自治区のガザではランティシ氏の葬儀に十万人が参列し、ハマスはイスラエルに対し百倍の報復を宣言した。

 イスラエルのシャロンは「テロリストの侵入を防ぐ」という名目で、パレスチナ領土に大幅に食込んだ「分離壁」をつくり、パレスチナ住民の生活圏を分断している。同様の名目で、パレスチナ領土内に「中東版・満蒙開拓団」の様なユダヤ人入植地を建設し、パレスチナ自治区を丸ごと、かつての南ア・バンツースタンやユダヤ人ゲットーの様に囲い込もうとしている。
 アメリカは、ファルージャにクラスター爆弾を投下してイラク人600人以上を虐殺し、モスクを破壊した。今も、シーア派指導者サドル師の拘束(殺害)に向けてナジャフ市街への突入の機を窺っている。
 パレスチナ・イラクの人々にとっては、「テロとの戦い」とは、イスラエル・アメリカの国家テロとの戦いでしか、ありえない。


【「中東と日本の温度差」の意味するもの】

 翻って、日本ではどうか。イスラム原理主義との戦いだけが恰もテロとの戦いの全てであるかのように認識され、イスラエル・アメリカの国家テロについては完全に免罪されてしまっている。言葉の内実を問い返される事は一切なく、「テロに屈するな」のワンフレーズだけが一人歩きしてしまい始めている。私は、3人の邦人人質事件の報が入り家族が自衛隊撤退を求めたと聞いて、喜ぶどころか逆に陰鬱な気分になった。「テロか反テロか」の二極分化の構図に無理やり押し込められていくような気がしたから。案の定、日本ではその後の事態は正にそのように推移している。

 私はどうしても、勤務先の所長が言った「国民は醒めている」といった言葉に拘ってしまう。権力とメディアの世論操作によって、かつてはイラク戦争反対派が過半数であった日本世論も、徐々に「戦争已む無し」「テロに屈するな」「国益を考えろ」「在外邦人の権益を守れ」という声に浸食され、いつの間にか賛否が入れ替わってしまった感がある。アメリカ本国では、「大量破壊兵器」のブッシュのウソ・「自作自演」が綻び始め、「自己責任」で一方的に始めた戦争がうまくいかず、イラク戦争不支持が世論の過半数を越え始めたのとは対照的に。ポピュリストやデマゴギーが流すウソ・デマ宣伝はいつかは大衆に見破られるが、一時的には大衆の心を魅惑して歴史の逆流を引き起こす時がある。ドイツ・ナチスの権力獲得はその典型例だ。しかし、今回の「国民のシラケ」は、それだけでは説明がつかない。

(1) 「自衛隊派兵は人道復興支援」という政府のウソ・デマが巧妙に浸透している。冷静に考えれば、今回のイラク派兵が純粋な専守防衛からかけ離れ、イラク特措法の要件すら満たしていないにも関わらず、どのメディアもその事には触れようとはしない。
(2) すぐ近隣に「北朝鮮」という「どうしようもない真のテロ国家」が存在しているがため、米国流「反テロ戦争」の論理が安易に国民に浸透し、その論理に無批判に追従していく事が恰も国益であるかのように捉えられ始めている。
(3) その中で今回の事件が起こった。スペインではアルカイダのテロが米国流「反テロ戦争」の論理の見直しに結びついたが、日本では逆に「テロに屈するな」論に有利に作用しつつある。
(4) このような状況においては、単純な「反テロ」でも「テロ容認(黙認)」でもなく、「テロも国家テロも許さない」「テロの生まれる土壌自体を克服する」という方向でしか、『リストラも戦争も拉致もゴメンだ』という要求を実現する道はない。丁度、ブッシュ・シャロンによる「テロとの戦い」やイスラム原理主義・ハマスによる「ジハード」ではなく、パレスチナ解放運動とイスラエルの反占領・平和運動の連帯でイスラエル・パレスチナの共存を図るオスロ合意の方向でしか和平への道がないように。そういう意味ではやはり、【人質事件を正当化してはならない】し、【自衛隊撤退は、人質救出とは別の根拠で唱えるべき】(拙稿「〜雑感2」、4月14日投稿)なのではないか。 

イラク人質事件雑感7 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月21日(水)23時56分36秒
【「銃後の守り」を一方的に押し付けて来るな!】

 実はイラク戦争開戦前後の頃から薄々感じ始めてました。大手商業メディアが徐々に「従軍報道」主体になってきているな、という事を。米軍は、かつてのベトナム戦争報道に懲りて、湾岸戦争以降は独立系メディアを戦場から締め出し「従軍報道」しか認めなくなりました。TVで放送されるのは「ピンポイント」空爆(実際はピンポイントでもなんでもない)の映像と、「番記者」の権力広報、興味本位な三面記事報道だけ。アルジャジーラだけが一人気を吐いている。

 北朝鮮による拉致や人権蹂躙とも相まって、いつの間にか「テロに屈するな」という言葉だけが一人歩きし出しました。米国流の「反テロ戦争」に無批判に便乗する事が、恰も「テロとの戦い」であるかのように。

 「自己責任」論の行く末は結局の所、政府の意に沿わない「独立系メディア・NGO」叩きなんでしょうか。政策判断に関わる微妙な問題については発言を控え、ひたすら「銃後の母」のように耐え忍び、政府と同じように「テロに屈するな」と叫ぶ、そんな「人質家族の理想像」が、知らず知らずのうちに出来上がっているのではないか。

 そもそも「自己責任」で勝手にイラクで戦争をおっ始めたアメリカの尻拭いを、何故日本が「専守防衛」の制約すら取り払ってまで参戦しなければいけないのか?何故それまで折角中東で培ってきた「日露戦争以来の親日感情」「平和憲法を持つ経済大国」のイメージを損ねてまで参戦しなければならないのか?撤退表明(検討中も含めて)をする派兵国がボロボロ出てきており、イラク統治評議会メンバーの抗議辞任も相次ぎ、イラク人治安部隊や「イラク軍」の間に参戦拒否が広がり、米軍だけでは足りず世界各地から傭兵・民間警備兵をかき集めて行っているような戦争に、参戦・協力しなければならないのか?

 北朝鮮問題で米国に助けてもらうため?確かに、米国の手も借りなければならない場合もある。しかし、その為にはイラク人がどれだけ虐殺されようが関知しない、ひたすら自国の国益だけを考えて米国に追従すべしとするなら、そんな運動に果たして国際的支持が集まるだろうか?(勿論実際には、そうではない石丸次郎氏・kazhikさん・金国雄さんたちのような運動家もいるのだが)そして、どれだけ国民がリストラ・権利侵害・生活破壊や産業空洞化・「食と農の安全」崩壊で苦しもうが知ったこっちゃない、只ひたすら対米追従最優先というなら、少なくとも私はそんな運動は支持出来ない。いくらウヨクさんたちから「似非左翼」と言われようとも。

 「自作自演」を言うなら、「大量破壊兵器」の嘘をついたブッシュ・ブレアや、誰が見ても戦闘地域でしかないイラクに「非戦闘地域」「人道復興支援」と偽って派兵を強行した小泉こそが、最大の「自作自演」ではないか。「人質救出費用は我々の税金」というのなら、専守防衛でもなくイラク特措法の要件すら満たしていない違法・違憲派兵や各種の「米軍思いやり予算」こそ「我々の税金」ではないのか。『「銃後の守り」を一方的に押し付けて来るな!』


【「人質バッシング」の深層心理】

 再び、この問題について考えて見ます。
 帰国した5人の邦人人質の中で、先に拉致された3人、とりわけ今井君・高遠さんに対するバッシングがきついように感じます。これは、3人が先に世間の耳目を集めたからだけではないのでは。実は、人質事件第1報を聞いた時、私も先の2人には少し違和感を感じたのです。何か、私が従来抱いていたNGOのイメージとはかけ離れた感じがして。私の抱くNGO・フリージャーナリスト(昔流に言えばルポライター)というのは(多分古いタイプなのだろう)、本多勝一・鎌田慧・千田夏光の様な「一癖も二癖もある様な人物」「筋金入りの左翼」のイメージがあります。どちらかというと、後で解放された2人がそれに近い。先の2人(高遠さん・今井君)はそのイメージには当てはまらないのです。寧ろ、欧米のボランティアや阪神大震災の震災救援ボランティア、「桃色ゲリラ」の増山麗奈さんのイメージに近い。私の職場で3人の人質に反発した所長・副所長も私とほぼ同年代で、同じようなニュアンスで反発した形跡を感じました。よく言えば「今までの殻を打ち破った」、悪く言えば「お気軽」。勿論、本人は至って真面目で、とても「お気軽」な気持ちなんかでイラクに行ける訳はないでしょう。
 この間の「人質バッシング」は、従来型から脱却した新しいタイプのボランティアに対する古い世代の反発に、昨今の「テロに屈するな」や「プチ・ナショナリズム」の風潮が合わさって、出てきたような気もするのです。

イラク人質事件雑感・まとめ 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月26日(月)11時29分58秒
 私も、ここで一旦、区切りをつけたいと思います。
 やはり私も、イラク人質事件の昨今の「人質へのバッシング」には納得がいきません。
たとえ、3人(乃至5人)の人質当事者の準備・心構えやその後の家族の対応に、幾許かの「稚拙さ」「未熟さ」があったとしても、昨今の「自己責任」追及論には断じて組する事は出来ません。何故か?

(1)「加害者の犯罪行為」には沈黙し「被害者の過失」ばかり言い立てている。
 自衛隊撤退を求めるか、駐留継続を求めるか、人には意見表明をする自由があります。たとえ「政治利用」と言われようとも、それを表明する事自体は犯罪でも何でもない。しかしその結果、家族にはいろんな嫌がらせが加えられました。
 人質家族に加えられた無言電話や脅迫・恫喝の数々、プライバシーの暴露、等々。
 http://www.zakzak.co.jp/top/2004_04/t2004042260.html 
 これらは明白な「刑事犯罪」です。断じて、当事者のあれこれの「落ち度」を口実にして許されるものではない。政府・商業マスコミ一体となって加害者の犯罪行為を免罪し、ことさら被害者の落ち度ばかり言い立てる昨今の風潮は、どう考えても異常です。

(2)「人質バッシング」は権力の露払い、その行く末は異論排除・言論弾圧。
 「自己責任」論者の主観がどうあれ、この種の「自己責任」追及論の行き着く先は、「商業メディアの自己規制」「独立系メディア・NGOの抹殺」でしょう。政府のやる事、軍隊のやる事には一切「異論を挟むな」「邪魔をするな」という事になる。「大本営発表」しか許容しないというのなら、もうそれは民主主義の自殺行為です。

(3)「自己責任」のダブル・スタンダード。
 「自己責任」を云々するなら、アメリカが「自己責任」で一方的にやり始めた国際法違反の戦争が、そもそも間違いでしょう。何故、日本が、憲法や法律を歪めてまで、中東にまで出かけていってアメリカの不始末の尻拭いしなければならないのか。最後までアメリカの「自己責任」でやれば良い。「国家責任と自己責任は別物」というのなら、「国家責任」も、「自己責任」とは別途にキチンと追求されるべき。「国家責任」(国家の自己責任)には頬かむりして個人の「自己責任」だけを追求するのは、明らかにダブル・スタンダードでしょう。
 或いは、ひょっとして、日本のイラク戦争加担は「国益に合致する」、故に日本国家は「国家責任」を果たした、と仰るのでしょうか。もしそうなら、「反テロ戦争」を口実にして、他国への侵略や人民弾圧と引き換えに追求される様な「国益」など、国民にとってどれだけの価値があるのでしょう。

(4)イラクの現在の事態は、全てNGOが今まで指摘してきた事の証明でしかない。
 独裁者打倒に名を借りた一方的な侵略・占領が、民主化とは程遠い「別の独裁者の誕生」「イラクのベトナム・アフガン化」でしかなかった事は、CPA当局のシーア派への言論弾圧やファルージャでの虐殺、今回のイラクの事態に悪乗りしたイスラエルのパレスチナ指導者暗殺で、はっきりしました。自衛隊が、憲法や専守防衛の枠を踏み越えてアメリカの占領統治に加担すればするほど、イラク人民の憎悪を一身に浴びる事にしかならない事も、既に国会での参考人質疑の中で指摘されていました。
 http://www.janjan.jp/government/0404/0404022743/1.php
 http://www.janjan.jp/government/0404/0404022743/2.php
 その中で強行した自衛隊派兵です。何故、既に活動していたNGOの活動が、後から無理やり派遣されて来た軍隊の為に、規制されなければならないような事態になってしまったのか?この点の追及を抜きにして安易に現状追認に流し込もうとするような風潮には、断じて組する事は出来ません。

(追記)

 今までも触れましたが、私は、NGO活動の発展の為にも、またイラク反戦運動がウヨク的時代迎合の潮流に抗する力量を備えていく為にも、今回の人質当事者・家族側の「事前準備・心構え」や「事後の対応」が、「果たして求められる力量にふさわしいものであったかどうか」については、今後改めて検討される必要があると思っています。但しそれはあくまでも、当事者・家族が落着きを取り戻し自己内省できる環境が整ってから、「人質バッシング」とは一線を画した立場で、それにふさわしい時と場所で、ですが。

イラク人質事件雑感・補論 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月27日(火)23時55分41秒
 4月26日(月)11時29分58秒投稿の拙稿「イラク人質事件雑感・まとめ」の補足です。当該拙稿の(追記)で、私は『NGO活動の発展の為にも、またイラク反戦運動がウヨク的時代迎合の潮流に抗する力量を備えていく為にも、今回の人質当事者・家族側の「事前準備・心構え」や「事後の対応」が、「果たして求められる力量にふさわしいものであったかどうか」については、今後改めて検討される必要があると思っています。』と書きました。本来ならば『それはあくまでも、当事者・家族が落着きを取り戻し自己内省できる環境が整ってから、「人質バッシング」とは一線を画した立場で、それにふさわしい時と場所で、』明らかにするつもりでしたが、私自身今度いつ投稿できるかわかりませんし、この話題もいつまで継続するかわかりませんので、簡単にポイントだけ書いておきます。

 5人の人質の中で、高遠さんと今井君については、ある種の「アマチュア臭」は感じていました。何か、阪神大震災の時の震災ボランティアや、イラク戦争初期の「人間の盾」の若者に対して感じたのと同じ様な。少なくとも、戦場報道を志向した残りの郡山さん・渡辺さん・安田さんと比較した場合、ある種の「お気軽さ」は否めませんでした。
 イラクは「戦場」であり、そこでは「非戦場」に赴く「貧困救済ボランティア」そのままの感覚は通用しないでしょう。ある意味では、戦場で殉職した「ロバート・キャパ」と同様の覚悟も求められたのではないか、と思います。

 しかしそれは彼ら(彼女ら)の「未熟」「稚拙」な部分ではあったが、そのボランティア精神は、断じて否定されるべきものではない。日本ではボランティアそのものが目新しく、初めて本格的にその姿を現したのは1995年の阪神大震災の時です。TV報道で未曾有の震災被害の様子が全国に流れました。それを自分自身の問題として捉え、西宮北口駅から阪急神戸線の線路伝いに黙々と神戸を目指した無数の若者の映像が、今でも私の脳裏に焼きついています。その姿は、もうそのすぐ後に到来したネット時代における「若者の自覚的行動」として、やがてイラク反戦運動にも引き継がれていきました。
 たとえ「未熟」「稚拙」であっても、「自己責任」論者による「したり顔」の「為にする攻撃」によって、その動機まで否定されるべきでは、絶対にない。ボランティアの形で現れた「若者の自覚的行動」は、将来日本を変える原動力になるでしょう。ただ、いつまでも「未熟」「稚拙」なレベルに止まっていてはいけない。それでは「戦場」では通用しない。「戦場」でも通用するだけの語学力・知識・経験・心構えを充分身に付けた「ボランティア」「NGO」として、堂々とイラクに赴くべきであったのでは、と思います。NGO活動の発展の為にも、またイラク反戦運動がウヨク的時代迎合の潮流に抗する力量を備えていく為にも。


  人質の「自己責任」について

自己責任(1) 投稿者:解法者  投稿日: 4月14日(水)13時29分53秒
 イラクの人質について、最近<自己責任>という用語が氾濫している。
この<自己責任>という用語は「政治用語」でも「社会用語」でもない、
れっきとした「法律用語」である。
 しかも、この用語について用語の使い方、曲解が多く見られるのは残念で
ならない。用語を使用する前に良く吟味して使用していただきたい。
 <自己責任の原則>は、人は自己の行為についてのみ責任を負担する
という原則である。
 この原則が生まれた背景は、中世までは人は家族およびその構成員の
行為まで責任を負担することを強要されたが、個人主義の台頭ともに
自己の行為に関するものにのみ責任を負担すべきということが確立
されたのである。
 そして<自己の行為>とは、<自己に故意・過失>がある行為と
いうことにされた。
 このように<自己責任の原則>とともに<過失責任の原則>が
確立した。
 したがって<自己に故意・過失がある行為>については、それを
招来した者が全て責任を負担するのである。

自己責任(2) 投稿者:解法者  投稿日: 4月14日(水)13時31分46秒
 これを元に今回の<イラクの人質事件>について考えてみますと、
彼らは<一般人が普通に有する常識の下>において、イラクが戦争
(戦闘)状態にあって生命の危険にさらされることを認識すべきで
あったにもかかわらず、その認識を欠いたということは明白である
と考えられますから、その招来した結果について<責任>を負担
することになります。
 このことは、例えば、国が彼ら(人質)に救援費用を請求する。
あるいは、彼ら(人質)が政府(日本国)に損害を請求することに
よって具体化します。
 彼らは、日本が自衛隊を派遣したから、日本人が危険にさらされ、
その結果、人質になったのであるから、自衛隊を派遣した日本国に
責任があり、国から救援費用を請求される理由はないと主張する
かも知れません。同じく自衛隊を派遣した日本国のために人質に
なったので、その損害を請求できると主張しましょう。
しかし、軍隊を派遣しない国の人でも多くの人が人質となって
いること、政府(日本国)が17回にも渡って渡航自粛勧告をした
こと、などから、これらの主張は一蹴されること確実です。
 なお、彼らが死亡したとしても、先の理由および政府(日本国)
の<人質解放に向けての努力(国家には日本人が危害にあった理由
の如何を問わず救出する義務がある)>から、政府(日本国)
の責任を問うことは難しいでしょう。
ただ、これは裁判の段階で明らかにされるので、現在のところ
詳細は不明で、推測の域を出ません。
 彼らが解放されれば、それに向けての政府(日本国)の努力
の結果ともいえますから、この点は問題になりません。
 いずれにせよ、<自己責任の原則>はこの場合には問題となり、
これを考慮しないわけには行きません。

解法者さんへの素朴な疑問 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月15日(木)09時36分40秒
 解法者さんへ。
 何故あなたはそこまで「3人の自業自得」にこだわるのですか?

 3人の行動が、危機管理から見てどうだったかについては、Mさんが「イラク日本人誘拐事件に対する一市民としての私の当面の基本姿勢」(4月15日投稿)で書かれているように、いろいろ議論はあるでしょう。しかしそれは、彼らが帰国してきて真相が明らかになってからの話です。今は3人に関しては「救え!」で充分です。

 事件発生後の家族の対応に関して意見があるのなら、今まで窓口になっていた北海道東京事務所を通して自分の意見を開陳すれば、それで良かっただけの話(つい先日、窓口での受付は終了されてしまったようですが)。報道されているような「実家への嫌がらせ」「ストーカー行為」など、明らかに行過ぎです、というよりもはや犯罪です。

 他の掲示板の書き込みも、醜いねえ。高遠さんの学生時代の所属セクトが云々という話までありました。そりゃあ、イラクに人道支援に行く位ですから、学生時代に何か活動していたとしても別におかしくは無い。民青であろうが創価学会であろうが生長の家であろうが、別に本人の自由であろうし、だから、どうだと言うのか?今から10年も15年も前の活動歴まで詮索されて今の行動について全て決め付けられたら、誰だって腹が立つだろう。そのような「嫌がらせ」「レッテル張り」「ストーカー行為」については、どう思われますか?

 私は、この手の薄汚い誹謗中傷には、もうウンザリしているんですが。


(参考)

・いわゆる「自己責任論」について(江川紹子ジャーナルより)

>>しかし、3人の命が危機に瀕し、事実関係も未だはっきりせず、彼らが何の弁明も説明もできない状況の中で、彼らの「自己責任」を云々することはフェアではない。
 もし今の状況下で、読売新聞があくまで「テロが頻発している」→「イラク入りしたのは無謀」→「本人が悪い」と決めつけるならば、同新聞は1991年6月に雲仙普賢岳の噴火災害で自社のカメラマンが亡くなった件についても、カメラマンと編集部の「無謀」を糾弾しなければならない。<<
 http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_28.html

 もっと言えば、そこまで危険地域における非戦闘員の自己責任をあくまで追求するのなら、イラクで亡くなった2人の日本人外交官(奥大使、井ノ上参事官)が「何故完全防弾の車両で移動しなかったのか」等々についても、もっと議論されて然るべきである。そうでなければフェアな論争だとは言えない。


(追記>皆さんへ)

 もう、NGOがどうたらこうたら、言っている場合ではないようです。

・<イラク>日本人2人がまた拘束の情報 外務省など確認急ぐ
>>複数の日本のNGOなどに15日、イラク国内で日本人のジャーナリストの男性2人が武装グループに拘束された、との情報が入った。NGOに届いたメールには、2人は「ヤスダ」と「ワタナベ」という。外務省邦人保護課は確認を急いでいる。イラクではボランティア活動家ら3人が人質にされたままで、事実なら5人が拘束されたことになる。(毎日新聞)
 http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040415-00000164-mai-int

「自己責任」論・一考 投稿者:  投稿日: 4月15日(木)19時37分18秒
「自己責任」論について、「四トロ同窓会二次会」常連の「菊」さんが示唆に富む意見を投稿されているのを見つけたので、紹介します。

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「1週間を振り返って」*友人たちに送ったメール 投稿者:菊  投稿日: 4月15日(木)09時39分1秒

(前略)

一方、国内では「自己責任」論が急速に高まっています。

わが家では「昔過激派、今テロリスト」といっていますが(笑)、イラクの抵抗勢力をすべてテロリストと一括りにして、白か黒かで決めつける日本政府や政治家、メディアの主張が大手を振ってまかり通っている中では、こうした自己責任論は多くの人になじみやすいのでしょう。

↓は典型的な主張を繰り広げている民主党の榛葉(しんば)賀津也参議院議員のホームページ(抗議のメールを送りました)。
http://www.k-shimba.com/policy/policy_column_20040412.html

しかし、続発する人質事件はファルージャを中心とする米軍の攻撃とそれに対する抵抗の過程で引き起こされていることは明らかで、原因は米軍の攻撃にあります。これはまず、ハッキリさせておかなければなりません。

また、「自己責任」はビジネスの現場でも当たり前のように使われていますが、それは常に強者から弱者に向かって言われます。そして、「自己責任だ」と主張する人の多くは、自分がそういわれるような窮地に陥ることはないと考えているのです。

自己責任論への批判は多くの人が行っていますが、首相官邸前の行動でもお見かけした江川紹子さんが丁寧な批判を書いています。「いわゆる自己責任論について」
http://www.egawashoko.com/menu4/contents/02_1_data_28.html

なお現在進行形ではありますが、この1週間の状況を見ると、私は「個人が様々な方法で声を上げることで、国の力によらない実質的な外交が生まれつつある」と考えています。そして、これは極めて重要なことのように思うのです。

それに対して、政府や与党政治家、それに与するメディアなどの危機感は尋常ならざるものがあるようです。「自己責任論」や家族に対する誹謗中傷もそうした点が背景にあると思いますし、今後も激しい非難や嫌がらせなどのバッシングが続くだろうと思います。

ちなみに、先ほど引用した民主党の榛葉賀津也参議院議員は昨日、民主党の外交・防衛などの合同ヒアリングで、「官邸前で騒いでいる集団がいるが、これが日本を代表する声と受け取られたらいけない。かえって人質の解放を遅らせることになる。政府はどうしているのか」との趣旨の発言をしたそうです(もちろん、民主党でも自衛隊撤退のために努力している議員も多いのですが)。これに対して、外務省は「ご心配していただきありがたい」と答えたとか。

そして、今朝の週刊新潮・週刊文春の見出しを見ると、あきれるほど、めちゃくちゃな人質の家族に対する個人攻撃です(読売・産経あたりが、続くのでしょう)。

しかし、日本国内でも、人質事件という不幸な問題がきっかけだったとはいえ、イラク戦争に反対し、自衛隊の撤退を求める声は確実に広がっています。

最後に、その象徴のような元郵政大臣・防衛政務次官の箕輪登さんたちの「身代わりの人質になる」というアピール、そして、脚本家倉本聡さんのメッセージを紹介します。

北海道小樽市の箕輪登さん、坪井主税さん
(「私は十分に長く生きてきました」というのが印象的)
http://give-peace-a-chance.jp/118/040414.html
倉本聡さん(「国格」という言葉には考えさせられる点が多い)
http://www.chikyumura.org/campaigns/peace/seimeibun/index3.php

イラク情勢は、米国にとっては「イラクのベトナム化」、それに追随する以外に策のない日本政府にとっては「自衛隊派兵のシベリア出兵化」の局面に入りつつあるようです。

こうした状況を見据え、この1週間で生まれた新しい可能性を大切にして、できることをやっていこうと考えているところです。

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「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?


自己責任(3) 投稿者:解法者  投稿日: 4月16日(金)00時11分37秒
 「自己責任」が強者(権力を有する者)の言い分であるとの考えをする者
がいる。
 これはとんでもない間違いだ。
 近代法では、むしろ「弱者」の権利を補完するものとして構成されている。
 例えば、東名高速道路で酒を飲んでトラックを運転した者が乗用車と衝突し、
人を死傷させた。これは本来トラックを運転した者の責任で、この運転手を
雇用していた会社が責任を負担するはずはない。ところが、運転手を雇用
していた会社もその死傷事故について民事責任を負担する。
 これを<使用者責任>といい、民法第715条に規定がある。
 この会社は運転手とは別人格なので「自己責任」を負担するはずがないが
、運転手を(雇用し)支配下においていたものと考えられ、運転手も
<自己>の範囲と考えて、責任を負担させることとしたのである。
 これは、(経済的)弱者たる一般人が(経済的)強者に対して
<自己責任>を追及できることを定めたものだ。
 これは「国家賠償法」でも同じで、国家は支配下にある公務員の
行為についても<自己>がしたと同じ責任を負担することとなって
いる(国家賠償法第1条)。


「M」さん、<自己責任>に対する考察が足りない。

自己責任(4) 投稿者:解法者  投稿日: 4月17日(土)16時33分40秒
 今回の<イラク人質事件>でも、「自己責任」を強調すると
「夜道を歩いていた女性が痴漢にあった」場合に「自己責任」が
問題となるなどと説く者もいる。
 とんでもない例だ。前にも繰り返したが、「自己責任」という
用語は、政治用語でも社会用語でもない。れっきとした<法律用語>
である。
 国家は犯罪を防止する義務がある。この例でいえば、夜道でも
安全に女性が歩けるように治安を維持する責務がある。
したがって、この女性に「自己責任」が発生する余地がない。
 そうしたら、今度は、あの亡くなった「奥大使、井上一等書記官」
が防弾用の車両で移動しなかったので「自己責任」があるのでは
ないかと言う、あのオウム事件で著名になった女性ジャーナリスト
が現れた。彼らは国家に雇用されていた。仮に「自己責任」が
あったとしてもそれを負担するのは<国家>である。
彼らには「自己責任」が発生する余地がない。彼らが現地で勤務
する大使館に危険だから「防弾用の車両」を用意してくださいと
言ったとしよう。大使館がそういう車両はない、また、その必要
はない、と言ったら、これは<大使館(究極的には大使または
外務省)>の責任だ。「奥大使、井上一等書記官」は現地の
<大使館>の支配下にある。彼らが不注意で危険を察知して
いなかった。また、いたが、これを<大使館>に告げなかった。
それでも彼らに「自己責任」はない。<大使館>がそれを察知・
認識する義務があるからだ。
 こんなことは、装備不良で山で救難援助の二次災害にあった
警察官などのことを考えれば、すぐにも理解できるはずだ。
こんな社会常識も持ち合わせていない女性ジャーナリストが
いるとは驚いた。
 それとも、この人、こういう場合に、彼らに<自己責任>が
あるので、その損害を賠償しなくとも良いと言いたいのか。
自分がそういう状況におかれたことを想定したらよい。
誰もあんたを救助しないよ。
この女性ジャーナリストが提示した例についても考えて見たが、
やはりおかしかった。

グローバル・ウォッチ/パリ コリン=コバヤシ氏の声明(1) 投稿者:M@出張  投稿日: 4月17日(土)11時56分5秒
イラク日本人誘拐事件に関連する参考情報としてアップします。
また、所謂「自己責任」論にも一石を投じる声明文だと私は思っています。

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Subject: [aml 38983] 声明7(転載可)
From: kolin kobayashi <kolinko@wanadoo.fr>

声明7(転載可)

 私たちはひとつの山を越えました。人質となった日本人三名、郡山さん、高
遠さん、今井さんが解放され、心から喜びたいと思います。しかし、この喜び
を戦争開始以来、占領軍の攻撃によって犠牲となられた無数のイラク市民の家
族の方々と分かち合うことができないのは、たいへん悲しいことです。また新
たに拉致された日本人二名、渡辺さん、安田さんのことを考えると、手放しで
喜ぶことはできません。
 また、私たちは、ファルージャ周辺で、イラクの罪のない普通の市民たちが
ハエのように叩きつぶされ殺戮されている最中に、日本人だけ<助けて!>と
どうしていえるでしょうか?私たちはその殺戮を犯しているアメリカと肩を組
んで歩いているのです。
 とはいえ、私たちは私たち市民としての可能な限りのネットワークを広げる
ことによって、市民社会の連帯パワーの可能性を夢見させてくれたと思いま
す。そのきっかけとなったのは、なんといっても今回拉致された三人の方々で
す。彼ら、彼女は日本政府が主張しているようなアメリカの大義のない戦争に
自衛隊を持って加担するのではない方法、すなわち愛情と友愛の原則に基づい
て、勇気を持って関わろうとした数少ない方々です。また現在の日本の硬直し
てしまった時代の空気の中では小声でしかいえない本当の日本人としての真心
と良心を身を持って示してくれたからこそ、多くの市民や団体が彼らが何者な
のかをあらゆる手段で拉致グループに伝えようと努力をしたのだと思います。
 政府が日本の大半の民意を代表しようとしないとき、市民は市民独自の判断
で行動を起こす権利があります。そのことを実践したのが、これらの方々でし
た。
 そして、拉致したイラク人たちは、政府とは違う良心と愛に基づいた日本市
民たちがいたことに気がついたからこそ、またそのような市民を無為に殺傷す
ることはイスラムの精神に反すると説いた宗教指導者たちがいたからこそ、彼
らは開放の呼びかけに答えたのだと思います。私たちは、彼らがイラク民衆の
心の絆を結んでくれた人たちであると解釈しています。その彼らを助けよう
と、陳情し、デモし、アピールした多くの心ある市民たちが初めて得た大きな
成果だと自信を持っていいのではないでしょうか。
 私たちはこの連帯と共感をより広げ、イラクやアフガニスタンやパレスチナ
などの最も抑圧された民衆へと繋がっていくことを期待します。

グローバル・ウォッチ/パリ コリン=コバヤシ氏の声明(2) 投稿者:M@出張  投稿日: 4月17日(土)11時55分1秒
 明日以降、日本で郡山さん、高遠さん、今井さんたちを待ち受けているの
が、<北朝鮮>から戻られた拉致被害者の方々と同じのように、何も言えなく
なってしまうような鉛の状況を作り出してはならないとと思います。日本政府
や保守のメディアが主張する自己責任論は、政府の責任回避であり、根本的な
問題を不問にし、回避してやまない現政府のレトリックにすぎません。生命を
一顧だにしない政府がなぜ人道支援ができるのか、人道とはまず生命を尊ぶこ
とではないでしょうか。自衛隊の軍事的なプレザンスこそが、真の緊急人道支
援を妨げているのです。
 本末転倒をしてはいけません。このような緊急時で、こうした事態にあった
日本人がいた場合に、日本政府が彼らの救援するのは当たり前のことで、その
ために政府があり、行政府があるのです。日常の事務ばかりではなく、そうい
う救援保護活動も公的行政府の遂行すべき任務のひとつなのです。<迷惑をか
けるな>などという福田官房長官の言辞は、私企業の社長のいうことです。誘
拐や拉致にあった犠牲者の家族が<心配をかけてすみません>と表明しなけれ
ばならぬ事態。これこそ本末転倒です。緊急時や不可抗力による場合は<迷惑
>かけてもいいのです。

 戦火がこれ以上、広がれば、あらゆる人道支援が不可能になります。そうな
らぬためにも、今予期されているこれからの再度のアメリカ軍のファルージャ
に対する大攻勢にストップをかける運動やアピールがぜひとも必要だと思いま
す。ブッシュ政権の対応をみていると、パレスチナでも然りですが、自分たち
の利益に役立たない国や民衆をゴミのように廃棄しようとしているのです。そ
れにストップをかけるための世界的な運動が不可欠です。そのひとつの運動を
今回も経験しました。
 あらたに拉致されているお二人のためには、同じような努力が私たちには必
要です。アルジェジーラ放送局は理想的な放送倫理を持っているとはいえない
にせよ、中東社会への大きな影響力を持つメディアです。様々な働きかけをし
ましょう。私たちの闘いはこれからです。

グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ

グローバル・ウォッチ/パリ コリン=コバヤシ氏の声明(3) 投稿者:M@出張  投稿日: 4月17日(土)11時54分5秒
Subject: [aml 38984] 声明7付記(転載可)
From: kolin kobayashi <kolinko@wanadoo.fr>

声明7付記(転載可)

庇護権について

緊急時に、国民は国に保護してもらう権利と、国は国民を保護しなければなら
ない義務があります。
その点が欧米でははっきりしているから、欧米の記者たちは拉致された家族が
なぜ謝らねばならないのか、理解に苦しむわけです。拉致事件の場合は、どう
考えても緊急時です。
福田官房長官、川口外相の発言がおかしいのは、この点です。
ところが、ペルーのフジモリ前大統領のような人には特別な庇護を与えてい
る。あの方はペルー人と認識するのが真っ当な判断だと思われます。彼はペル
ーから、弾劾され国際刑事法でインターポルを通じて国際指名手配されている
にも関わらず、かばっている。迷惑だ、自己責任をとれとは、けっして言わな
い。あの人こそ、自己責任をとるべき人です。ところが、一般の市民が良心の
人道支援をしていて、拉致されると、迷惑だ、自己責任を取れといわれる。こ
れまた全く本末転倒した事態です。泥棒にあった人が、泥棒にあってごめんな
さいとはいわない。単純なことです。

犯人たちはテロリストか?

今回の事件の場合、拉致グループ(武装集団)をテロリストと判断するのは、
困難だと思います。これは戦時下、不当な占領に対する住民の抵抗の一形態と
思われます。とりわけ、ファルージャのような無差別攻撃があった場合には、
なおさらです。この戦争の本質を考えずに、しかも犯人像が明らかになってい
ない以前から、テロと交渉するのはまずい、と小泉政権から社民党までいって
います。池沢夏樹氏でさえ、そのステレオタイプにはまっています。強盗にあ
ったら、百万円払っても、命を救うべきです。ましてやこのような民衆の抵抗
の一形態としての挑戦にあったときには、撤退・譲歩も当然、選択肢のひとつ
としてあるべきでしょう。

グローバル・ウォッチ/パリ
コリン・コバヤシ

*********************************************************************************
ちなみに「コリン=コバヤシ」氏とはこんな↓人(四トロ二次会の「菊」さんの投稿を転載)
 
追記・コバヤシさんのプロファイル 投稿者:菊  投稿日: 4月16日(金)07時08分58秒

グローバル・ウォッチ/パリのコリン・コバヤシさんとは『市民のアソシエーシ
ョン フランスNPO法100年』(太田出版)の編著者です。

また岩波新書に「ゲランドの塩物語」(2002年現代フランス・エッセイ賞受賞)があり、これはフランスの環境保護や有機塩業に関し
て書かれたものです。http://www.yomiuri.co.jp/bookstand/syohyou/0812_09.
htm http://www.altertrade.co.jp/pages/book_gerando.html

訳書にピエール・ブルデュー/ハンス・ハーケ「自由−交換」(藤原書店)、ジ
ョゼ・ボヴェら「パレスチナ国際市民派遣団議長府防衛戦日記」などがあります。
さらに、岩波の雑誌「世界」では「フランス:イラクの影で殺戮しているのは
人類全体だ!」という記事を書かれています。http://www.iwanami.co.jp/sekai
/2003/ex01/directory.html
その他、「フランス核問題の行方」と題してhttp://www.shonan-inet.or.jp/~
kuri/aala/aala_8.html#anchor128746 インターネット上に、彼の考えが書かれ
ています。

註補)Global Watchは、
http://www.globalwatchonline.com/flashintro2.htm
世界社会フォーラム(WSF)論集「もう一つの世界は可能だ」にも出てきます。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/another.html
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そのほかに「世界」で、フランスでの反グローバリズム運動のルポ記事をいくつ
か書かれています。

「パレスチナ国際市民派遣団議長府防衛戦日記」はヨーロッパの市民がイスラエ
ル軍の攻撃からパレスチナ自治政府のアラファト議長を守った一連の行動の記録
です。
この本では、国境なき医師団の創立者で元総裁のロニー・ブローマンが「弱者か
ら強者に対する実質的な外交が出現した」という序文を書いています。

コバヤシ氏の今回のメッセージの「市民社会の連帯パワーの可能性を夢見させて
くれた」という部分は、それと通底する内容であり、ヨーロッパの社会運動に関
わる人々の今の問題意識がうかがえます。

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「イラク日本人人質事件・被害者自作自演説疑惑」の「根拠」を検証するページ
http://www.geocities.jp/iraq_peace_maker/index.html

http://6305.teacup.com/mappen/bbs?


もっと寛容になれないのか? 投稿者:北条時輔  投稿日: 4月18日(日)03時55分43秒
初めまして。

イラクで拘束されていた日本人のうち、15日の晩に解放された3人に続き、昨日、残りの2人も無事に解放されて、取り敢えずは一安心といったところですね。
昨日解放された2人に関する事は知りませんが、先の3人とそのご家族に対しては、まだ3人の安否がまったく掴めていなかった段階において、一方的な批判、勝手な臆測による決めつけ(妄想に陥っているのか?)、TELや手紙での脅迫・嫌がらせ、等々、良識のあるマトモな神経の持ち主の目には、野蛮人の行為としてしか映らない事が平然と行われていたという事実。
今回、3人がイラクで活動していたのは、飽くまで真面目で純粋な動機からだったのですから、その事自体は、大いに評価するべきだと思います。
しかし、たとえ、いかなる崇高な理念に則ってのものだったとしても、実際のところ、3人の行動は、相当に無謀な冒険の類で、しかも、本人たちだけでなく、世界中の大勢の人たちへ迷惑をかける結果を生じさせたわけなのですし、その意味では、批判されるべきだと。

ところで、当初、3人は帰国しないで、そのままイラクに残る意向を口にしたと報道され、様々な方面から批判の声が出ていましたけど、でも、「残る発言」は、解放された直後のものではなかったのでしょうか?
もし、そうなら、彼らの口からそういった発言が出て来たとしても、仕方がない面もあったと言うべきではないのでしょうかね。
解放直後の3人は、1週間も監禁状態に置かれていたので、心身両面に渡る疲労があって、無論、外部からの情報がまったく遮断されていた為に、自分たちの事で世界中が大騒ぎになっているという状況を把握できていなかったわけなのですから。
今現在の彼らは、家族や関係者たちの声を受け、自分たちの置かれている立場と取り巻いている状況を理解した為なのか、帰国して、イラクが安全な状態になるまで再入国しないと言っていますよね。

3人(もしくは、5人)が帰国したら、例によって例の如く、どこかのアタマのイカれた非常識な野蛮人どもが、彼らとその家族へ向け無責任な罵声を浴びせる可能性は大いに考えられると思いますが、そういった愚かしい真似をして、いったい何になると言うのでしょうか・・・
確かに本人たちにも家族の人たちにも、批判されるべき点はありますけど、もっと寛容になれないのか?と。
少なくとも、北朝鮮による拉致被害者とご家族の人たちであれば、イラクで拘束されていた日本人とご家族の人たちに対して、どこかの野蛮人たちのような愚劣な態度など決してとられず、むしろ、気遣われるはずです。
私だったら、帰国した彼らへ「オマエらだけは、ホントに皆んなを心配させやがって・・・」「少しぐらいは、人の迷惑を考えろよ・・・」とか何とか、小言や批判の言葉を述べた後、「まぁ、しばらく、ゆっくりしろよ」と言って、軽く笑顔を見せながら肩をポンと叩いてやりたいところですがね。
  「テロへの屈服」論をめぐって

[転載] 「ただ、無事を願う。」(山本夜羽音) 投稿者:社会主義者  投稿日: 4月12日(月)11時22分1秒
Subject: [aml 38832] ただ、無事を願う。
From: 山本夜羽音 <johanne@hkg.odn.ne.jp>
Date: Mon, 12 Apr 2004 05:22:35 +0900
Seq: 38832

拘束されている3人のうち2人が故郷・北海道の活動家と言うこともあり、
ただただ無事に解放されることを願っています。

良くも悪くも、犯行グループが朴訥というか、アルカイーダのような原理主義
急進派とはほど遠い、行き当たりばったりの拉致であることが気になります。
うまくいけば、その朴訥さ故、3人が無事に帰ってきてくれると言う期待もある
反面、現時点での混乱は素人集団の犯罪故に、後始末をうまくつけられないと言う
証左でもあり、何か行き違いがあっては、本当にまずいな、という心配があります。

一方で、この件に託けた自衛隊撤退要求というのはどうなのか?という疑問もありま
す。自衛隊を撤退させるためには、あくまで法に則って、合理的根拠を武器に反撃し
ていくべきだと思うのです。どう考えても、人命と引き換えに国策を曲げるという
スタイルを取った時点で、外交力という時点では完全にダメ国家扱いされるでしょう。

たとえば非・自民政権が成立したあとで同様の事件が頻発した際、いちいち要求を呑
むわけにはいかなくなるはずです。

追補すれば、今回の小泉政権の動きは一概に非難される筋合いのものではない。しか
し、現実に起きている悲惨な状況に対する態度としては、あまりに傲岸不遜であると
も言える。
小泉が家族に会おうとしないのは、ただ単に

「めんどくせえなぁ、サヨクがかった連中がえらそうに。サヨクが死んだって構わな
いんだよこっちはよぉ」という本心が行動に表れているに過ぎない。

その本心が透けて見えるからこそ、このカッコマンを許せない気持ちになる。

こういう下劣な為政者と同じレベルに堕ちる必要はない。
「侵略にもテロにも反対」というスローガンを単なる方便に堕すべきではない。
それは、今苦しんでいる3人だって、感じていると思う。
たとえ、純朴な部族系の武力勢力であっても、誘拐という手段は許されるべきではな
い。そこを間違ってはいけない。彼らのメッセージに一分の理があったとしても、
それに呼応するなどと決して言うべきではない。

ファルージャで起きている虐殺に対してアメリカを糾弾することは、それはそれとし
てやっていくべき。しかし、今回の事件と結びつけるべきではない。
私たちとて、アラブの友人たちに対して友情を差し出すと共に、過ちをいさめるのが
真の友好だと思ったりする。

今回の事件を「自作自演だ」だの「丸腰で戦場に向かうバカ」だのと言い募る下劣な
感性がウェブの中を跋扈している。天に唾するという言葉を知るべきだ。
何もしない連中が、何を叫んでも、彼ら3人の蛮勇を貶めることなど出来ない。
もし彼らが救われたなら、それは彼らの行いが正しかったからだ。

ただ、今は無事を祈る。

(乱文乱筆容赦)
--
山本夜羽音
johanne@hkg.odn.ne.jp

blogsite「DOXA:独立左派日誌」
http://d.hatena.ne.jp/johanne/

・注:[aml 38832] http://www1.jca.apc.org/aml/200404/38832.html

すべてとは言い切れないが、イラク人民の抵抗闘争を支持する 投稿者:鍋山  投稿日: 4月12日(月)21時54分25秒
「解放声明」から動きが止まっている。

「3人は、犯行グループともども米特殊部隊によって殺されようとしている! 投稿者:鍋山  投稿日: 4月10日(土)22時37分40秒」という憂慮される事態は去っていない。

さらに、声を上げ続けよう
「あらゆる所へメールを!国会・首相官邸への行動を!全国各地での宣伝・署名活動に参加を!」

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

本格的な議論は、「解放されてから」にしますが、
山本夜羽音さんの主張の多くの部分に反対です。 

イラクは6月政権委譲に向けて「総蜂起」「全土レジスタンス」情勢になっているようです。
さまざまな宗派・勢力の思惑をはらみながら。
ファルージャでの事態は、米軍との戦闘というより、米軍による一方的な包囲・殺戮のようです。バグダットなど周辺からイラク市民が、食糧などを車に積んで救援に駆けつけるという情況のようです。

そのような情況の中での「人質事件」です。「犯行グループ」は、ファルージャの「青年団」という感じがします。

「アメリカを弱める」→「自衛隊の撤退を要求する」→「日本人を人質にする」と計画したわけではなく。
少ない支配地域で、「とにかく車を止める」→「たまたま日本人がいた」→「自衛隊の撤退を求めよう」というものであるように思われる。

つたない「声明」や、バラバラの武器など(狭い部屋でロケット砲突きつけてどうすんの?撃ったら部屋もろとも吹っ飛んじゃうじゃないの)
それが、宗教者や長老にとがめられて「解放声明」になったのではないか。

私は、「正当な抵抗行為である」とか「やむにやまれぬ行為である」とか、スッキリと言う勇気はありませんが、「民間人を人質に取る卑劣な行為」とか「テロ行為」には違和感がある。


【アジアプレス緊急レポート「イラク・日本人拉致事件速報」】

綿井健陽 バグダッド発 4/9 4:15
<拉致現場に近いと推定されるファルージャのルポ>
http://www.asiapressnetwork.com/urgent_report/20040409/20040409_03.html

玉本英子 バグダッド 4/11 23:20
http://www.asiapressnetwork.com/urgent_report/20040411/20040411_02.html

イラク日本人誘拐事件に対する一市民としての私の当面の基本姿勢 投稿者:M@出張  投稿日: 4月15日(木)05時14分50秒
・三名の中でとりわけ高遠菜穂子さんはストリートチルドレンへの人道支援活動のためにイラクに渡ったのであり、単なる個人的なレジャーで入国した訳では無い。この事実を忘却してはならないだろう。

・彼女を始めとする人道支援活動家が自衛隊を始めとする各国の軍隊が「人道支援」の名目でイラク国内で展開している活動では実施しがたい人道支援を行ってきたことは事実。その事実を無視して、彼女達を「国」に迷惑を掛けるならず者であるかのように一方的に断罪する論調には私は疑問を感じる。彼女がこれまで行ってきた「功」の側面は高く評価されるべきではないだろうか。

・ただ、NGOなり個人のボランティア活動は「自分の尻は自分でふく」(下品な言葉であるが)が原則であり、イラク国内が危険な状況であることを関知しながら現地で「アリババ街道」と揶揄される危険なルートを通ってイラク入りしたなど、被害者にも注意義務を怠ったという「過失」があるのも事実。そうした「自己責任」問題については今後議論を呼ぶと思われる。

・今回の事件の背景には事実関係に不可解な点が多く、この点についても今後事実検証作業が求められる局面はあろう。ただ、大した「根拠」も無いのに今回の事件を「被害者の自作自演」だとして彼らを誹謗中傷する向きには私は断じて与しないし、そのような「説」を実しやかに吹聴する連中を厳しく非難する。

・今回の日本人誘拐事件を受けて展開されている救出運動に対しては個人的には疑問に感じる点が無いわけでは無い。ただし、運動に主体的に創造する側に与していない私が、限られた事件の中で力を尽くしている運動関係者に批判を加えるが如き所業は、「今は」控えたい。

・いずれにしても、いま最も求められるべきはまずは三名の無事の確認と身柄の解放である。私はそのためのアクションに個人的に可能な限り協力したいし、今は何よりも救出に向けて可能な限りの力を注ぎたいし、その為のアクションを起こしている全ての人達と連帯したい。
三名の行動への是非、運動に対する批判など「議論」は後から幾らでもできるし、三名の解放が首尾良く実現したら私も批判であれ何であれ、自身の正直な所見を書くつもりである。

・併せて、私達は米軍によるファルージャ「掃討作戦」によって多数のイラク民衆が殺害されている現実にも目を向けるべきであろう。今回の日本人誘拐事件、そして他の外国人誘拐事件もファルージャでの虐殺と深くリンケージしていると思われ、私は当面は三名の解放アクションとともに全ての外国人の身柄解放、そして何よりも米軍によるファルージャでの軍事行動の完全終結、ファルージャの地からの米軍の撤退の実現のために、一市民としてささやかながらイラク民衆および反戦平和を願う全ての市民と連帯を模索したい。

(以上、四トロ二次会板・sinken板にマルチポスト)

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